昨年より、北海道芸術高校の札幌・仙台・名古屋キャンパスをローテーションで回って授業をする一方で、東京にある北芸・池袋校において、毎週金曜日、『現代社会を生きる』という授業を二コマ担当している。これは、私からのたっての希望により実現したものだ。
教育を憂う者は多い。不登校問題や、青少年の心の問題を指摘する声も多い。しかし、恐しいことに、教育の『希望』が語られることは...圧倒的に少い。
本来、子供たちは、その存在自体が『希望』そのものであるはずだ。にもかかわらず、なぜそれが積極的に語られないのか?
答えは実に単純なことである。憂いや問題は発表されている『データー』だけで語ることができるのに対し、『希望』については、日常の教室でしか見つけることができない、からだ。そう、その場所にいなければ、高名な学者先生でも、それを語ることなどできやしないのだ。
私は教育の希望を語りたいと切に願う者である。なぜなら、嘆きや憂いでは、目の前の子供たちを守り、導くことなどできないということを嫌というほど体験してきたからだ。だからこそ、私は教壇に立つことを熱望した。
しかし...初回授業、『希望』を胸に向かった教室では、案の定というか、なんというか、『不安』という名の霧がまだ見ぬ『希望』を瞬時に覆い隠した。
元気にあいさつし、自己紹介をする。そして一人ひとりの名を呼び、見つめ、出欠確認する。しかし、返ってくる反応は...ほとんどない。
「おい、おい、オマエら!大丈夫か!?起きてるのか!」
と煽ると、彼らはゆっくりと視線を上げ、そしてさっと視線を戻す。まるで招かれざる客を迎えたかような教室全体の雰囲気に、「あ...お呼びじゃない、お呼びじゃないのね。こりゃまた失礼しました!」と教室を飛び出したくなった。でも、そうはいかない。
皆さんなら、こんな時、どうするでしょうか。彼らを怒りますか?もっと煽りますか?それとも無視して淡々と授業を始めますか?授業から離れて彼らの興味をそそるような話題を提供しますか?
私は、ただ、自分の信念をゆっくりと、心を込めて彼らに語りかけた。
「最初に言っておきます。『心の壁』という表現がありますが、俺はそんなものはない、ということを知っています。今日、初めて会った俺達が、最初から心を通わせてコミュニケーションが取れるなんていうことは、本来あり得ないこと。ただ、今、俺達の間を隔てているのは断じて、壁ではないということを知って欲しい。隔てているのは壁ではなく、『扉』です。ただ、この扉は、普通の扉と一つだけ違う特徴があります。それは、扉を開けるドアノブが内側にしかついていない、という特徴です。だから、俺の方からその扉を開けることはできないのです。俺は今日、みんなの扉を開けに来たのではなく、ノックをしに来たんです...」
生徒たちの視線が、ゆっくりと私の方を向いた。瞬間、私は驚けながら言った。
「今、こっち見たね。見ちゃったね。ドア、開けたね?開けようとしたね。やった、俺の勝ち!」
すると途端、彼らの視線は元に戻る。
「まあ、ノックと言っても、俺のノックは半端じゃねーから、いつまで居留守を使えるかな?とにかく俺はしつけ―ぞ。はい、コン、コン、コン!コン、コン、コン!ココンコン!はい、コン、コン、コン!コン、コン、コン!ココンコン!って何回も言わせんな。俺はキツネじゃねーっつーの!」
「ぷっ、先生が勝手に言ってるんだろ?」
一人の男子生徒の言葉で、かすかな笑いが教室を包んだ。
いつの間にか、教室に深くたちこめていた不安という名の霧は、かろうじて前方を確認できるまで薄くなっていた。
その先には希望がある。それを探し、分かち合うための彼らとの旅はこうして始まった。