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義家弘介先生コラム

本校のチーフアカデミックディレクター「義家弘介先生」のコラムを毎月連載!!

必然の出会い

2010年6月13日

 二〇〇五年三月三十一日、私は自らの母校でもある北海道・北星学園余市高等学校を退職した。全国から中退者・不登校者が集る母校は、〇歳で母と別れた私にとって、まさに『母』そのものであったように思う。そして学校に集う生徒たちは、同じ母のもとで育つ弟・妹だった。楽しかった。幸せだった。しかし、あの日、私は決意した。
 教育という名の森は今、危機に瀕している...。傷ついた生徒(木々)たちと向き合うことは重要だ。しかし、一方でそのかけがえのない生徒(木々)たちを傷つけてしまっている教育という名の森を再生しなければ、これからも新たな悲劇が生み出されていく。教育という母に育まれた自分だからこそ、自らの充足ではなく、次なる世代のための戦いを始めねばならない、そう決意し、母校を退職し、日本で最も大きな教育という名の森がある横浜市の教育委員会に教育委員として赴任する決意をした。二〇〇五年三月三十一日、私にとって三十四回目の誕生日は、まさに母からの自立の日であったのだ。
 そして...時を同じくして北の大地・北海道清水町で産声を上げたのが、『新たなる公共』、株式会社立高等学校・北海道芸術高校だった。
 北海道芸術高校は、現行の森の中に加わるのではなく、新たなる森を作ろうとする志によって設立された。
 教育の森へと旅立った私と、新たなる森を創ろうと設立された北海道芸術高校。私たちがやがて出会うことになるのは、ある意味、必然であったようにも思う。
 北芸の理事長・坂井氏、教師、そして生徒たちと初めて直接関わったのは、それからおよそ一年半後の二〇〇六年十二月一日だった。当時私は、安倍内閣で内閣官房教育再生会議担当室室長として公教育システムそのものの在り方や問題点と正面から対峙していた。折しもイジメ自殺が社会問題化している、そんな時期であった。
 対面した坂井理事長は、目を輝かせながら教育への夢を語った。対峙している公教育に関る者たちが一様に視線を下に落としている、そんな折、私は北の大地の新しい教育に一筋の光明を見たような気持になった。
 そして...生徒たちと対面した時、母校に辿り着いた少年時代の自分の姿と彼らが重なって見えた。
 「ありがとう」
 なぜか、その言葉が私の胸に湧き上がった。
 あれから四年。私は参議院議員という立場で教育という名の森と正面から向き合っている。そして、北海道芸術高校は、その森を清水町、札幌、仙台、名古屋、そして東京・池袋広げた。気がつけば、まるでそれが自然のことだったかのように、毎週、北芸の池袋校で授業を持ち、また、それぞれの高校を回り、この森に居場所を求めた生徒たちと、最高の時を分かち合っている。
 今日も授業が始まる。胸に去来する言葉は、君たちの先輩たちと出会ったあの日と同じ言葉。

「ありがとう」

 じゃあ、今日も授業始めるぞ!
 起立!礼!着席!

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