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    <title>義家弘介先生コラム</title>
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    <title>名古屋キャンパスで感じた風</title>
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    <published>2012-01-10T05:49:08Z</published>
    <updated>2012-01-10T06:52:39Z</updated>

    <summary>毎週の北芸・東京池袋キャンパスの授業以外に、月に一回、各キャンパスを回っているが...</summary>
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        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
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        <![CDATA[毎週の北芸・東京池袋キャンパスの授業以外に、月に一回、各キャンパスを回っているが、12月は名古屋キャンパスを訪れ、特別授業、および、体験入学で来校してくれた百人を超える生徒、保護者と時を分かち合った。<br />特別授業の対象は、今回は声優コースの生徒たちだったが、『表現』という、他者との信頼関係を構築する上で最も大切な要素がしっかりと育ってきていることを感じ、嬉しくなった。<br /><br />名古屋キャンパスの授業に向かう前、少しだけ時間があったので喫茶店に入った。私は生来、人間観察が好きで、その日もコーヒーを飲みながら、同じ空間にいる人々を何気なく眺めていた。そして、そこで寂しい現実を目の当たりにしたように感じた。<br />パソコンを開いているサラリーマン、携帯を手放さない若者、友人と楽しそうに話している人、カップル、その時間の喫茶店には多種多様な人々がいた。しかし、悲しいかな、共通していることがあった。それは『注文の仕方』である。<br /><br />「ご注文は何になさいますか？」<br /><br />という、店員の問いかけに、チラと店員を見つめてから、<br /><br />「コーヒー」<br />「レモンティー」<br />「Ａセット、アイスコーヒーで」<br /><br />返答は、名詞、あるいは名詞＋格助詞のみ。<br />皆さんは、このやり取りを聞いて、『寂しい』と感じないだろうか？<br /><br />「コーヒーをお願いします」<br />「レモンティーでお願いします」<br />「Ａセット、ドリンクはアイスコーヒーでお願いします」<br /><br />私も高校時代、喫茶店のウエイターのアルバイトをした経験があるが、注文に対してそんな風に答えてもらうだけで、とてもすがすがしい見持ちになったものだ。<br />お金を払っているのだから、客の方がそこまで気を遣う必要ない、という意見もあるだろうが、果たしてそうだろうか？お金の問題ではない、コミュニケーションの問題なのだ。<br /><br />名古屋キャンパスの生徒たちは、元気に、そして丁寧にあいさつしてくれた。そして、私の問いに対しても、誠実に、丁寧に、自らの意見や思いを堂々と語ってくれた。<br />どんなに可能性があったとしても、それを誰かに伝え、見つけてもらえねば、いつまでも眠ったまま。どんなに知識があったとしても、それを伝え、役立てることが出来なければ、開くことなき百科事典と同じ。<br /><br />誠実な態度で聞き、そして誠実な態度で伝える。名古屋キャンパスの教師たちの教育が、確実に生徒たちに届いていることを実感した。<br />余談だが、私は知っている。キャンパス開校当初、教師たちは生徒たちの指導に随分と悩み続け、頭を抱えていた時期があったことを...。<br />教師は魔法使いではない。突然、すべてが劇的に変化させることができる、なんてことはありえない。<br />そこにあるのは、日々、心を込めて伝え続け、信じ続け、寄り添い続けた先で生まれる生徒たちの『成長』だけなのだ。<br />開校6年目を迎える『ヤンチャな名古屋』と言われてきた名古屋キャンパスに、今、優しい風が吹いている。<br />この次、さらに成長した彼らにあの教室で会えることを楽しみにしている。<br />ありがとう、みんな。<style type="text/css">?<!--
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		P { margin-bottom: 0.21cm }
	--></style>]]>
        
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    <title>修学旅行</title>
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    <published>2011-11-16T10:20:42Z</published>
    <updated>2011-11-16T10:39:23Z</updated>

    <summary>?先日、十勝清水本校で行われた北芸のスクーリングに駆け付けた。今回のスクーリング...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[<p><style type="text/css">?<!--
		@page { margin: 2cm }
		P { margin-bottom: 0.21cm }
	--></style>先日、十勝清水本校で行われた北芸のスクーリングに駆け付けた。<br /></p><p>今回のスクーリングで、私には三つの『楽しみ』があった。<br />まず一つは、北芸を地域ぐるみで受け入れてくれている北の大地・十勝清水の皆さんとの再会、二つ目は北芸の生徒がシンボルキャラクターを作成した、ご当地グルメ、十勝清水牛玉ステーキ丼を食べること、そして、何より三つ目は、成長した生徒たちとの再会だった。<br /></p><p>当日、帯広空港に着くと、札幌から駆け付けてくれた坂井理事長が迎えてくれ、特別授業をする町の文化センターまで約40分、ずっと生徒たちの楽しい話をしながら向かった。<br /><br />「スクーリングに行くんだから当たり前だろ？」<br /><br />なんて思われるかも知れない。<br />しかし、私も日々、数多の教育関係者と会話を重ねているが、話の中心は『悩み』『嘆き』そして『愚痴』...。<br /></p><p>本来、教育者とは希望を語るもの。教育とは子供たちの可能性の芽を見つけ、コツコツと水を注ぐ営み。それが前提になければ教育は必ず殺伐とするだろう。<br />理事長と話をしながら私は久しぶりに心が躍った。<br /><br />公開授業の会場となっている文化センターに着くと、なんと『牛玉ステーキ丼』が私を待っていた。密かに期待し、昼食を抜いておいてよかった。先生方とキャラクターの話をしながら、舌鼓を打った。<br /><br />そして、待ちに待った公開授業。<br />ホール中央には、元気な生徒たち。そしてその後ろには、彼らを見守るように、町の方たちが座っている。<br /></p><p>私は心を込めて、語りかけた。期待を、思いを、そして感謝を...。<br /><br />北海道芸術高校は、他の広域通信制にはない、というか『あり得ない』特色がある。<br /></p><p>札幌校、仙台校、東京池袋校、名古屋校を含め、なんと生徒たちの『通学率』が九割近くという、私の知りうる限り日本で唯一の通信制高校なのだ。<br /><br />人は、人との関わりの中で成長していく。<br /><br />北芸の生徒たちの元気は、日常の人間関係の中で初めて生まれる。そう、北芸のスクーリングは、他校のような『単位修得の条件』としてのものではない。北芸のスクーリングは仲間たちと行く『修学旅行』なのだ。<br /></p><p>既存の学校という枠組みを超え、教育の本質を原点から見詰めなおそうとスタートした北海道芸術高校。今、その独自の歩みは北芸の『伝統』となった。<br /><br />今回のスクーリングは残念ながら一泊の行程となってしまったが、次回は何とかスケジュールをこじ開けて、引率の一教員として参加したい。<br /><br />そこに希望が待っていることを、私は知っているからだ。<br /><br />　<br />また会おう、北の夢たち。<br /></p>]]>
        
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    <title>本当の美しさを</title>
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    <published>2011-03-19T05:07:01Z</published>
    <updated>2011-03-19T05:19:08Z</updated>

    <summary>北芸・名古屋校、北芸・仙台校、北芸・札幌校そして東京池袋校と、今年も生徒たちと考...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[北芸・名古屋校、北芸・仙台校、北芸・札幌校そして東京池袋校と、今年も生徒たちと考える時間を大切に奔走している。<br /><br />新年最初のテーマは『善意』だった。私はそれを考える切り口として、昨年末から今年にかけて社会現象化した、全国の児童相談所や児童自立支援施設に、昔の漫画の主人公の名でランドセル等が相次いで届けられた、いわゆる『伊達直人運動』を生徒たちに例示した。<br /><br />「新聞やテレビでも大きく報道されているこの『伊達直人運動』。みんなは何を感じましたか？」<br />生徒たちからは、好意的な意見が相次いだ。<br /><br /><br />「何らかの事情で施設に預けられている子供たちの勇気や励みになる運動だと思う」<br />「運動が全国に広がって、日本も捨てたもんじゃないと思った」<br />「当たり前のようにランドセルを買ってもらい、当たり前のように学校に通わせてもらってきた自分が、いかに恵まれているのかを改めて考えさせられた」<br />「暗いニュースや後ろ向きなニュースばかりの世の中で、日本中が明るい気持ちになったと思う」<br /><br />等々。<br />生徒たちの素直さと優しさに触れ、心が温かくなった。<br />その上で、私はあえて彼らに深く考えてももらうため、二つの話を例示した。<br /><br />①ある施設がありました。<br />その施設には、新一年生となる子供が、男子３人、女子４人います。ある朝、職員が玄関を見ると箱に入ったランドセルが置かれていました。うちの施設にもテレビでやっていた『伊達直人さん』が来てくれた！とみんな大喜び。さっそく先生が職員室で箱を開けてみました。すると困ったことに気がつきました。箱の中には黒と赤のランドセルがそれぞれ３つずつ。でも、新一年生の女の子は４人なので、赤のランドセルが一つ足りません。子供たちは「早く見せて！」と大騒ぎ。さて、どうしますか？<br /><br />②別の施設のお話。<br />ある朝、職員が玄関を見ると、箱に入ったランドセルが置かれていました。当然、みんな大喜び！思いがけないプレゼントは新一年生に手渡され、施設みんなで感謝をしました。それから一年。当時、年長さんだった子供たちは、もうすぐ一年生になります。彼らは毎日、胸をドキドキさせながら、起きるとすぐ玄関に行きます。今年も伊達直人さんがランドセルを届けてくれると信じて...。しかし、十二月が終わっても、一月が終わっても、プレゼントは届きませんでした。彼らはとてもとても悲しい気持ちになりました。<br /><br />「さあ、みんなは何を感じますか？」<br /><br />私が話し終えると、先ほどまで和やかだった教室が水を打ったように静まり返った。<br /><br />自己満足の善意は、時に相手を傷つけてしまったり、困惑させてしまう結果につながることもある。継続性のない善意は、時に人を落胆させてしまう。これから社会を担っていく生徒たちには、表面で美談を捉えるのではなく、その内面を見つめ、本当の美しさを探し求める存在であって欲しい。三年生に思いを伝えられる時は残りわずか。最後まで精一杯、心を伝えていこうと思っている。<br /><br />]]>
        
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    <title>教師の先生は、生徒たち</title>
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    <id>tag:www.hokugei.jp,2010:/column//2.196</id>

    <published>2010-11-22T08:38:04Z</published>
    <updated>2010-12-24T08:40:58Z</updated>

    <summary>p { margin-bottom: 0.21cm; } 「インターネットサイト...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[<style type="text/css">p { margin-bottom: 0.21cm; }</style>

<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>「インターネットサイトへの軽はずみな書きこみや、それによって傷ついている生徒が多数いる現状の中で、その責任と問題性について話して欲しい」</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　北芸札幌校から届いた今回の授業内容の依頼である。もとより私は社会科（主に政治経済・現在社会担当）の教師であるが、ネットの普及により情報革命が進行中の現在、この単元の教えることの難しさを常に痛感してきた。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　なぜなら、これを教えるためには、彼らの実態を正確に把握する必要があるし、また、ネット社会の一端を具体例を示して触れるということは、逆にネット社会の危険な部分へのアクセスの仕方さえも教えてしまうことに繋がるからだ。当然、この単元の指導内容は毎回、一から準備することになる。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　札幌校での授業では、『中国漁船衝突映像』の流出問題を切り口にてスタートした。情報には常に管理責任が表裏一体で付随していること、ネット上にアップすることにも責任が問われること、ＩＰアドレスを追えば、投稿した個人も特定できること、などをかみ砕いて生徒たちに語った。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　その上で、若者たちの間に浸透している『前略プロフィール』というサイトを具体例として授業をした。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　</b></font><font face="Times New Roman, serif"><font face="HG正楷書体-PRO, serif"><b>Yahoo</b></font></font><font face="HG正楷書体-PRO"><b>などのポータルサイトで『前略プロフィール』を検索すると、携帯電話だけで</b></font><font face="Times New Roman, serif"><font face="HG正楷書体-PRO, serif"><b>776,000</b></font></font><font face="HG正楷書体-PRO"><b>件のサイトがヒットする。ネットを日常的に使う人なら、携帯検索で主に若者たちがアクセスするサイトに、これほどの数がヒットする、ということに驚くことだろう。ちなみに、ＰＣから検索すると、約</b></font><font face="Times New Roman, serif"><font face="HG正楷書体-PRO, serif"><b>23,900,000</b></font></font><font face="HG正楷書体-PRO"><b>件のヒット数となる。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　そしてトップサイトをクリックし、『北芸』というキーワードでプロフィール検索をかけると...</b></font><font face="Times New Roman, serif"><font face="HG正楷書体-PRO, serif"><b>225</b></font></font><font face="HG正楷書体-PRO"><b>件の自己紹介プロフが表示される。生徒、あるいは卒業生、入学希望者も含めた関係者の自身のプロフィールだ。中には写真、本名（？）、住まい、誕生日まで載せている者もいる。そして、アップされたプロフには匿名で自由に書き込みが出来る。</b></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　問題が起こることは自明なのだ。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　大切なのは、教える側が彼らの日常をどれどけ具体的に把握し、そして、その上でそれらに指導者として教育的線引き、道徳的線引きをするか、に他ならない。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　表現の自由はある。しかし、表現には同時に責任もついて回る。根拠のない誹謗中傷には名誉棄損が適用され、また、自身のプロフィールをアップすることは、匿名の誹謗中傷にさらされる危険がある、ということも理解させた上で、自覚を持ってネット社会と向き合うことを教えなければならない。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　漠然と問題を嘆いても彼らを守れない。彼らを守るために、いかに個別具体の問題に彼らと共に向き合うか、なのだ。</b></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　生徒たちは最初、「あんた、そんなことまで知ってんの？」といった面持ちで授業を聞いていた。私はそんな生徒たちに、今までこれらのサイトで傷ついてきた生徒たちの話を切々と語った。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　一時間半の授業、彼らは休憩なしで最後まで真剣に耳を傾け、そして自らの意見や問題認識を語ってくれた。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　私は今ほど教師の中身が試されている時代はないと思う。教科書を教えているだけでは、子供たちを時代から守ることは出来ないのだ。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　私の先生は、生徒たちである。</b><br /></font></p><p style="margin-bottom: 0cm;"><br /><font face="HG正楷書体-PRO"></font></p>
<p style="margin-bottom: 0cm;"><font face="HG正楷書体-PRO"><b>　私はこれからも、彼らと腹を割った交流を続けながら、彼らが直面しているすべての物事を直視し、向き合っていこうと思っている。</b></font></p>
 ]]>
        
    </content>
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    <title>夢は職業ではない</title>
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    <published>2010-10-18T03:27:11Z</published>
    <updated>2010-10-18T03:28:36Z</updated>

    <summary>今日は金曜日。これから北海道芸術高校での授業がある。先週と先々週は、生徒たちが北...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[今日は金曜日。これから北海道芸術高校での授業がある。先週と先々週は、生徒たちが北海道・十勝清水でのスクーリングだった休講だったが、久しぶりに顔を合わせる彼らが、また一歩、成長している姿を思い浮かべながら、このコラムを書いている。<br /><br />私は北芸以外の高校生とも接する機会も多々あるが、同世代ながら、他の高校生と北芸の生徒には一つの違いがある。<br /><br />それは『将来なりたい自分』を持っているか、いないか、ということである。<br /><br />北芸の生徒に「なんで将来、その職業に就きたいと思うの？」と問うと、驚くほど明快に答えが返ってくる。最初は少し驚いた。もちろん、具体的なコース設定がされていて、その先を目指して入学してくるという意味では他校の生徒と違いが出るのは当然なのだが、それにしても、びっくりした。なぜなら、私が向き合ってきた圧倒的多数の若者たちの悩みこそ、「何をしたいのか、わからない」ということに他ならないからだ。それは学校にも行かず、求職活動もしていない、いわゆるニートと言われる若者が60万人以上いるという現実からも明らかだろう。今、わが国では多くの若者が、自分の近未来の姿を具体的に思い描くことが出来ていないのだ。<br /><br />その責任は、やはり教育にあると私は思う。<br /><br />例えば、小学校では、『将来の夢』を生徒たちに発表させる授業がどこの教室でも行われているが、私は小学校時代、この授業のやり取りに疑問を持った子供の一人であった。<br /><br />私は、実際には多々おふざけの面もあったのだが、将来の夢を『正義の味方』と答えた。それを聞いたクラスメートたちは大笑いし、先生も苦笑いし、そして言った。<br />「野球選手とか、宇宙飛行士とか、みんな真面目に答えているのに、あなたはなんでいつもふざけて答えるのですか？将来を考えることはとても大切なことなんですよ」<br /><br />私は頭を掻きながら笑って誤魔化したが、この時、説明できない違和感のようなものを感じた。<br /><br />そして、今、私は断言できる。おふざけは問題だが、あの日、私が答えた夢は間違いではない、と。<br /><br />大人たちは『夢』＝『職業』という価値観を生徒たちに押し付けるが、夢とは、数多の職業の枠に入りきれるほど小さなものではないだろう。職業とは、あくまでも『なりたい自分』（夢）を叶える為の手段である。<br /><br />それを混同するから、彼らは「夢なんてない」と可能性の門を閉ざしてしまうのではないだろうか。<br /><br /><br />「自然に囲まれて家族とのんびり生きていきたい」<br />「世界中を旅行してまわりたい」<br />「仕事から帰ったら電気が付いている、そんな小さくても穏やかな暮らしをしたい」<br /><br /><br />君たちの答えは間違いなく、正しい。<br /><br />さあ、ならば、これから一緒その夢を叶える為の手段を考えよう！<br /><br /><br />今日も授業、頑張ります。 ]]>
        
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    <title>希望という名の萌芽</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hokugei.jp/column/20100922.php" />
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    <published>2010-09-21T17:28:05Z</published>
    <updated>2010-09-21T17:32:27Z</updated>

    <summary>先日、北海道芸術高校名古屋校で授業をした。　東京・池袋校では毎週二コマ、その他、...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[先日、北海道芸術高校名古屋校で授業をした。<br /><br /><br />　東京・池袋校では毎週二コマ、その他、札幌、仙台、名古屋各校をローテーションで回り授業をしているのだが、北海道芸術高校という森を共有するそれぞれの学びの場は、独自の特色がはっきりと出てきている。<br /><br /><br />　今回の名古屋校での授業はミュージックコースの生徒たちが対象だった。プロのミュージシャンから直接指導を受け、メジャーデビューしている卒業生もいる名古屋校のミュージックコース。きっとそれなりに『ぶっとんだ生徒』たちなのだろうとワクワクしながら職員室で授業時間が来るのを待っていた。<br /><br />すると...。<br /><br /><br />「すみません。まだ授業時間の随分前ですが、もう全員そろって先生の特別授業を楽しみに待っていますので、授業始めますか？」<br /><br />と先生から声をかけられた。<br /><br /><br />「え！？も、もちろんです」<br /><br />　私は嬉しくて一目散で彼らの待つ教室に向かった。<br /><br /><br />　一見すると派手な風貌の彼ら。しかし、向き合った生徒たちの姿勢は『学ぶ者』としての厳粛な趣があった。<br /><br /><br />　「規律、礼、よろしくお願いします」<br /><br />　一昔前であれば『当たり前』であったが、しかし、今や『当たり前』ではなくなってしまった『元気な号令と、元気な挨拶』から始まった授業。それが自然に出来ることは、彼らが着実に階段を昇っている証拠のように思った。<br /><br /><br />　一般的にミュージシャンという存在は、派手で破天荒なイメージがついて回るが、しかし、不真面目な者、学ばない者、学ぼうとしない者は、自称・表現者にはなれても、人の心を動かすアーティストにはなれない。私もこれまで何人ものアーティストの方とお会いしてきたが、ステージやテレビ、雑誌などを通して抱いてきたイメージとはかけ離れた繊細さ、真面目さ、謙虚さを持っていた。<br /><br /><br />　例えば画家のピカソとえば、独特の抽象画をイメージする方が大半であろうが、彼の初期の作品などは、言われなければそれがピカソの絵だと誰も思わない、まさに王道の絵画だ。学ぶ姿勢、地味な作業を反復しながら固めていく基礎という土台、それがあって初めて創造（独創）が生まれる。不真面目で、いい加減な成功者などいない。普通でテキトウな成功者など、どこにもいないのだ。<br /><br /><br />　現代の公教育が忘れてしまったようにさえ感じるそのプロセスを、北芸・名古屋校は校舎全体で大切にしていることを肌で感じることができた。<br /><br /><br />　一時間の授業、彼らはひたすら真摯に私の投げかける疑問や考えに耳を傾け、等身大の意見を述べ、時に共感し、時に反論し、そして、みんなで笑った。<br /><br /><br />　今、私自身が身を置いている、国権の最高機関であり、唯一の立法機関、国会における議論とは比較にならない秩序と真剣さ、切実さがあった。<br /><br /><br />「君たちがいる限り、おれは何があっても立ち続けてみせる。君たちはおれの夢なんだ。ありがとう」<br /><br />　授業の終わり、私は心の中でそう呟きながら、彼らに向かって深々と頭を下げた。<br /><br /><br />　今日も北芸では、全国の教室で希望の芽たちが、『当たり前』のことを一つひとつ積み上げている。それが彼らの『確固たる土台』となるその日まで、北芸は力を合わせてそれを守る。その先で、新時代の創造（独創）が彼らの手によって生み出されることを信じながら...。<br /><br /><br />]]>
        
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    <title>氷が溶けたら何になる？</title>
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    <published>2010-07-16T14:33:44Z</published>
    <updated>2010-07-22T14:34:20Z</updated>

    <summary>「今日は、『政治』についての授業をしたいと思います。世の中では、若者の『政治的無...</summary>
    <author>
        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[「今日は、『政治』についての授業をしたいと思います。世の中では、若者の『政治的無関心』が叫ばれていますが、みんなは、政治に興味や関心を持っているかな？」<br />　授業の冒頭、私は単刀直入にそう投げかけ、一番前に座っていたビューティーコースの女子生徒を指した。<br />「私はすごく興味があります」<br />　意外だった。<br />「政治のどんなところに興味や関心を持ってるの」<br />「ポスターの顔がウソくさいところとか」<br />　私は思わず噴き出した。<br />　参議院選挙を直前に控えていたこの時期、彼らは街角で候補者のポスターを何度も目にしているだろう。このビューティーコースの生徒は、私がまったく全く予想していなかった切り口から、政治への興味・関心を語ってみせた。そして、それは紛れもなく『本当のこと』であった。<br />「なるほど、有難う。確かにな。まあ、俺も人のことは言えないから、今後は十分に気を付けさせて頂きます」<br />　と、おどけてみせると、教室は笑いに包まれた。<br /><br />「氷が溶けたら、何になりますか？」<br />　小学校の理科のテストなどでよく出される問題。答えは当然『水』であり、それ以外の解答は不正解とされるだろう。<br />　しかし、是非、違う視点から考えてみて頂きたい。<br />　もし、ある生徒が、この問いに対する解答として『春』と答えたなら、あなたはどうするだろう？<br />　それを不正解と断じることが果たしてできるだろうか？雪国で生まれ育った私にはできない。<br />　閉塞感が漂う現代社会において、こういった発想こそが新しい可能性の扉を開く原動力になると私は思う。<br />　そして北海道芸術高校はまさにそこを大切にしている高校なのだ。<br />「政治について関心を持っているのは、ポスターの顔が嘘くさいところです」<br />　私は心の中で彼女に花丸をあげた。<br />　そこから初めて等身大の「なぜ？」が生まれ、そして、そこから学問が始まるのだ。]]>
        
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    <title>必然の出会い</title>
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    <published>2010-06-13T14:15:13Z</published>
    <updated>2010-07-22T14:34:58Z</updated>

    <summary>　二〇〇五年三月三十一日、私は自らの母校でもある北海道・北星学園余市高等学校を退...</summary>
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        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
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        <![CDATA[　二〇〇五年三月三十一日、私は自らの母校でもある北海道・北星学園余市高等学校を退職した。全国から中退者・不登校者が集る母校は、〇歳で母と別れた私にとって、まさに『母』そのものであったように思う。そして学校に集う生徒たちは、同じ母のもとで育つ弟・妹だった。楽しかった。幸せだった。しかし、あの日、私は決意した。<br />　教育という名の森は今、危機に瀕している...。傷ついた生徒（木々）たちと向き合うことは重要だ。しかし、一方でそのかけがえのない生徒（木々）たちを傷つけてしまっている教育という名の森を再生しなければ、これからも新たな悲劇が生み出されていく。教育という母に育まれた自分だからこそ、自らの充足ではなく、次なる世代のための戦いを始めねばならない、そう決意し、母校を退職し、日本で最も大きな教育という名の森がある横浜市の教育委員会に教育委員として赴任する決意をした。二〇〇五年三月三十一日、私にとって三十四回目の誕生日は、まさに母からの自立の日であったのだ。<br />　そして...時を同じくして北の大地・北海道清水町で産声を上げたのが、『新たなる公共』、株式会社立高等学校・北海道芸術高校だった。<br />　北海道芸術高校は、現行の森の中に加わるのではなく、新たなる森を作ろうとする志によって設立された。<br />　教育の森へと旅立った私と、新たなる森を創ろうと設立された北海道芸術高校。私たちがやがて出会うことになるのは、ある意味、必然であったようにも思う。<br />　北芸の理事長・坂井氏、教師、そして生徒たちと初めて直接関わったのは、それからおよそ一年半後の二〇〇六年十二月一日だった。当時私は、安倍内閣で内閣官房教育再生会議担当室室長として公教育システムそのものの在り方や問題点と正面から対峙していた。折しもイジメ自殺が社会問題化している、そんな時期であった。<br />　対面した坂井理事長は、目を輝かせながら教育への夢を語った。対峙している公教育に関る者たちが一様に視線を下に落としている、そんな折、私は北の大地の新しい教育に一筋の光明を見たような気持になった。<br />　そして...生徒たちと対面した時、母校に辿り着いた少年時代の自分の姿と彼らが重なって見えた。<br />　「ありがとう」<br />　なぜか、その言葉が私の胸に湧き上がった。<br />　あれから四年。私は参議院議員という立場で教育という名の森と正面から向き合っている。そして、北海道芸術高校は、その森を清水町、札幌、仙台、名古屋、そして東京・池袋広げた。気がつけば、まるでそれが自然のことだったかのように、毎週、北芸の池袋校で授業を持ち、また、それぞれの高校を回り、この森に居場所を求めた生徒たちと、最高の時を分かち合っている。<br />　今日も授業が始まる。胸に去来する言葉は、君たちの先輩たちと出会ったあの日と同じ言葉。<br /><br />「ありがとう」<br /><br />　じゃあ、今日も授業始めるぞ！<br />　起立！礼！着席！]]>
        
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    <title>不安の先に必ず見えるもの</title>
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    <published>2010-05-11T14:21:27Z</published>
    <updated>2010-07-22T14:22:18Z</updated>

    <summary>　昨年より、北海道芸術高校の札幌・仙台・名古屋キャンパスをローテーションで回って...</summary>
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        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hokugei.jp/column/">
        <![CDATA[　昨年より、北海道芸術高校の札幌・仙台・名古屋キャンパスをローテーションで回って授業をする一方で、東京にある北芸・池袋校において、毎週金曜日、『現代社会を生きる』という授業を二コマ担当している。これは、私からのたっての希望により実現したものだ。<br />　教育を憂う者は多い。不登校問題や、青少年の心の問題を指摘する声も多い。しかし、恐しいことに、教育の『希望』が語られることは...圧倒的に少い。<br />　本来、子供たちは、その存在自体が『希望』そのものであるはずだ。にもかかわらず、なぜそれが積極的に語られないのか？<br />　答えは実に単純なことである。憂いや問題は発表されている『データー』だけで語ることができるのに対し、『希望』については、日常の教室でしか見つけることができない、からだ。そう、その場所にいなければ、高名な学者先生でも、それを語ることなどできやしないのだ。<br />　私は教育の希望を語りたいと切に願う者である。なぜなら、嘆きや憂いでは、目の前の子供たちを守り、導くことなどできないということを嫌というほど体験してきたからだ。だからこそ、私は教壇に立つことを熱望した。<br />　しかし...初回授業、『希望』を胸に向かった教室では、案の定というか、なんというか、『不安』という名の霧がまだ見ぬ『希望』を瞬時に覆い隠した。<br />　元気にあいさつし、自己紹介をする。そして一人ひとりの名を呼び、見つめ、出欠確認する。しかし、返ってくる反応は...ほとんどない。<br />「おい、おい、オマエら！大丈夫か！？起きてるのか！」<br />　と煽ると、彼らはゆっくりと視線を上げ、そしてさっと視線を戻す。まるで招かれざる客を迎えたかような教室全体の雰囲気に、「あ...お呼びじゃない、お呼びじゃないのね。こりゃまた失礼しました！」と教室を飛び出したくなった。でも、そうはいかない。<br />　皆さんなら、こんな時、どうするでしょうか。彼らを怒りますか？もっと煽りますか？それとも無視して淡々と授業を始めますか？授業から離れて彼らの興味をそそるような話題を提供しますか？<br />　私は、ただ、自分の信念をゆっくりと、心を込めて彼らに語りかけた。<br />「最初に言っておきます。『心の壁』という表現がありますが、俺はそんなものはない、ということを知っています。今日、初めて会った俺達が、最初から心を通わせてコミュニケーションが取れるなんていうことは、本来あり得ないこと。ただ、今、俺達の間を隔てているのは断じて、壁ではないということを知って欲しい。隔てているのは壁ではなく、『扉』です。ただ、この扉は、普通の扉と一つだけ違う特徴があります。それは、扉を開けるドアノブが内側にしかついていない、という特徴です。だから、俺の方からその扉を開けることはできないのです。俺は今日、みんなの扉を開けに来たのではなく、ノックをしに来たんです...」<br />　生徒たちの視線が、ゆっくりと私の方を向いた。瞬間、私は驚けながら言った。<br />「今、こっち見たね。見ちゃったね。ドア、開けたね？開けようとしたね。やった、俺の勝ち！」<br />　すると途端、彼らの視線は元に戻る。<br />「まあ、ノックと言っても、俺のノックは半端じゃねーから、いつまで居留守を使えるかな？とにかく俺はしつけ―ぞ。はい、コン、コン、コン！コン、コン、コン！ココンコン！はい、コン、コン、コン！コン、コン、コン！ココンコン！って何回も言わせんな。俺はキツネじゃねーっつーの！」<br />「ぷっ、先生が勝手に言ってるんだろ？」<br />　一人の男子生徒の言葉で、かすかな笑いが教室を包んだ。<br />　いつの間にか、教室に深くたちこめていた不安という名の霧は、かろうじて前方を確認できるまで薄くなっていた。<br />　その先には希望がある。それを探し、分かち合うための彼らとの旅はこうして始まった。 ]]>
        
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    <title>新たなるスタート</title>
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    <id>tag:www.hokugei.jp,2010:/column//2.4</id>

    <published>2010-04-09T14:22:47Z</published>
    <updated>2010-07-22T14:23:38Z</updated>

    <summary>　二〇〇七年夏、北海道芸術高等学校の坂井理事長からアポイントがあり、東京渋谷区の...</summary>
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        <name>北海道芸術高等学校</name>
        
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        <![CDATA[　二〇〇七年夏、北海道芸術高等学校の坂井理事長からアポイントがあり、東京渋谷区のホテルのロビーで待ち合わせた。<br />　その折、北芸のチーフアカデミックディレクターにならないか、という打診を頂いた。<br />　チーフアカデミックディレクター？聞きなれないこの言葉に、近代的なホテルのラウンジの居心地の悪さも手伝ってか、私は少々困惑したのを覚えている。<br />　学校の教員の世界は、ある意味、伝統的、古典的な言葉が飛び交っている。学校内で受け持つ授業以外の仕事を『校務分掌』などと歴史的に呼んでいるのもその一例だろう。<br />　私は率直に理事長に問うた。<br />「それは、北芸において何をするということですか？」<br />　戸惑う私に、理事長はゆっくりと、そして穏やかに答えた。<br />「義家先生には、札幌や仙台、名古屋、そして十勝清水町にある本校、その全ての場所、全ての授業や教科の壁を超え、毎日通う通学制だけでなく、自宅で学習する通信制も含め、北芸全体の子供たちの先生になって頂きたいんです」<br />　驚いた。さらに戸惑った。でも...それができるなら、それ以上のものはない、とも思った。<br />　教育は言わずもがな、だが、縦と横の責任を伴った理念を具現化しながら営まれている。<br />　個々の現場における縦軸は主に、学校長や授業を受け持つ教科担当が担い、日々の生徒との関わりの中でその深度を深めていく。一方、横軸は、と言えば、これは地域教育、学校教育を含めた現代の教育の中で一番、欠落しているものでもあるといえよう。<br />　つまり、理事長の言わんとしていることは、<br />理事長である坂井氏は学校経営という縦軸の柱であることはもちろんだが、他方、本校、札幌校、仙台校、名古屋校、後にできる池袋校、それらの学校の方針や教員体制、生徒募集における共通理念の横軸に明確な責任を負う。私は北芸に集う全ての『生徒たち』にその生きざまや存在、授業等を通して、彼らの夢という縦軸と、心の連帯とに責任を担う、ということなのかと、おぼろげながら感じることができた。<br />「非常に重責ですが、ぜひ、頑張らせてください」<br />　私は決意した。<br />　その決意の向こう側には、まだ見ぬ多くの北芸に集う生徒たちの姿が見えた。]]>
        
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